合同会社 能真

代表の想い

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療育=両行=支援者の感覚器を総動員して行う感性の保育

支援者の身体の対になっている器官を最大限に活用して行う保育。支援者の両手(暖かく支える手)、両目(注視し見逃さない観察力)、両耳(声にならない声を聴く傾聴の心)、両足(感じたら即座に動くことのできる行動力)、そして臭覚(何事も見逃さない心の臭覚)とこれらを総動員できる、心の感受性で行う保育。

療育=了郁=受け入れて了承し暖かで質の高い保育

否定するのではなくあるがままを受け入れてみる、そこから療育は始まります。子どもの言葉や行動には「なぜ?」「どうして」がつきものです。たとえその行動がおかしくても決まった答えしか見つからなくても、子どもが「なぜ」と疑問を持つこと、不可解な行動にも理由があり、子ども自身が次のステップに進む大きなチャンスでもあります。
子どもの「なぜ」は、まず褒め一緒に考える機会にしましょう。社会の常識は子どもには何ら意味のないことを知り、一緒に考え行動し子ども自身の気付きを促し、体験を積み重ねる事こそ社会適応力の向上につながるのです。

療育=量良=時間、手間。活用できる情報、道具を多く費やす環境整備

丁寧な保育って具体的にどのような事でしょう。確かに社会に適応するとは時間を守り効率的に限られた情報、物で目的を達成することは大切な訓練かもしれませんが、発達途上のこの時期こそ、そういう時間の見守りと手間を費やす事が大切です。時間・道具・声掛けは子供を取り巻く環境整備を意味します。この環境でこそ子供の発達は得られるのです。

療育=綾郁=関わる人や環境によって織りなされる支援

発達に遅れのある子どもには、やさしく流れる時間と、やさしく接してくれる人がいれば、児童発達や放課後等デイサービスの存在は必要ないかもしれません。特別な事をしなくても発達の大部分は自ら獲得できるでしょう(療育なんかいらない)。逆に考えると専門の支援が子どもにとって苦痛な環境であれば、子どもの発達に負はあっても決して良い効果はないでしょう。
現状の子どもを取り巻く社会(保育園や学校も含み)は、障害を持つ子供にとって決して心地よい環境とは言えないかもしれません。この状態に長く放置されれば、子どもはストレスと自己否定の中で、本来獲得できる能力にも大きく影響を及ぼしことになってしまいます。
児童発達支援や放課後等デイサービス事業所に求められる最大の目的は「子供にとって心地よい環境提供」ではないでしょうか。
織りなす糸の一方に子ども、そのもう一方に児童発達支援や放課後等デイサービス、この織りなす糸が互いに綾(丘)となる事こそ療育ではないでしょうか。
※身体や知的に障害を持つ子供にとっての療育は高木憲次先生や糸賀一雄先生が提唱されたように、繰り返し、繰り返し生活の基本をスモールステップで反復すること。筋力や可動域に刺激がなければ発達の停滞又は後退してしまう事もあり、環境と共に教育や治療がエビデンスに基づき必要になってきます。治療教育です。

療育=良育=時間と良心の積み重ね

良く育てるとはどうゆう事なのか、これは関わる時間を惜しむことなく「待つ」ことが出来る時間の積み重ねであり、待つことのできる心のゆとり「良心」なのです

療育事業所には「優秀」な子どもたちが大勢通っています。
優秀?優秀とは優しさに秀でることをさします。
人を責めたり相手を羨み嫉んだり、競争社会の中で本当に優秀な人間の育成が出来るでしょうか?
もしできるとすれば・・・
療育機関こそが「優秀」な人間を育てる唯一無二な存在かもしれせん。